愛すべきいじめられっこ

学生時代、いじめをしていた経験がある。

積極的に自ら進んでターゲットを決めたり、特定の嫌がらせをしていたわけではないけど、ひとりの級友をみんなが避けていたのに、なんとなく従っていた感覚だった。

それはある日突然始まった。

級友Aを、部活のみんなが悪く言い始めた。

たまたまAのいないところで話題になったAに対するごく小さな悪い感情を、たまたまその場に居合わせた全員が抱いていることを、みんな知ってしまったのだ。

その日からAは無視されることになった。

そんな中私は、それまでAのことをこれっぽっちも悪く思っていなかったのに、「言われてみればそういう所もあるな」と変に納得して、みんなに従ったのである。

たしかに、Aと仲良くしていると面倒なことになりそうという感はあったが、それよりも、確実に、自分の中にAに対する悪い感情が育っていくのを感じながら、またどこかでその成長をぼーっと客観視し、放置してしまっていた。

私は元来優しいので、そうは言いつつ、Aに話しかけられれば普段通りに話すし、部活でも2人組を組むときには一緒にやった。

ある日、部活中に輪の中から外れて1人で練習しているAを顧問が見つけ、緊急ミーティングとなった。

そこで、主にいじめを主導していた何人かに対して、顧問はきちんと叱った。そして、私のように、いじめに加担しながらその解決を試みず、時にAと行動を共にするような優柔不断で自己矛盾に満ちた者には、顧問はこう言った。

「お前らがいちばん卑怯だぞ。どっちにもいい顔してな」

まさに寝耳に水だった。自分にはそんな感覚は微塵もなかった。たしかに私は表面的には誰とでも対等に接しながら生きてきた。ただ、それを卑怯だと思ったことはない。

いじめに加わっていたのは事実だけど、それなりにAのことは好きだったし、行動を共にするのも苦ではなかった。いじめが起きていることを知りながら、それを解決しようとしなかったことに非はあるけど、それでも卑怯呼ばわりされるなんて。

話は変わるが、Aがいじめに気づいたとき、2人組を作ろうと申し出た私に対して、Aは「大丈夫よ、あっち余ってるみたいだから、行ってあげて」と、子供とは思えないとんでもない気遣いを見せてくれたことを、私は忘れていない。もともと心が優しかった。だから、仕返しができないのをいいことに、いじめが始まったのかも知らないけれど。

そんな心優しいAだから、今でもAのことは大好き。

今度何か困っていたら、ちゃんと助けてあげたい人。