普段あんまりしない話
語弊を恐れずに言うと蟠りが残る最期だったりするときがある。
ある意味では蟠りが残らない最期なんてないので、たぶん相対的になってしまってるだけだと思うんだけど、自分の中でそんな最期なときがある。
なのに、「最期まで先生に優しくしてもらえて喜んでると思います」なんて家族から言われてしまうといくらなんでも泣いてしまう。
そう言うしかない状況なのかもしれないけど、心が揺さぶられる。
しっかり握って張り詰めていた糸から手が離れる瞬間。
力が抜けて何も言えなくなる。
旅立った本人もそう思ってくれてたらいいな。
短い間でしたが本当にありがとうございました
K先生の教訓と私の考え
「僕だって失敗した経験はたくさんあるよ。そんなときは夜一人で飲みながら反省する。どうしたらよかったのか、次どんなことに気をつければいいのか。それで若手にそれを伝えていく。それも義務だと思ってる。成功した経験はそのとき喜んですぐ忘れる。それでいい。」
「若手が色々したいと思うのはわかる。あれもしたいこれもしたいそれもしたい、それはわかる。だけどじゃあ今まであなたは何をしてきたの?って。何もしてないのに不平不満を言うような輩はもうそれまで。俺は去れと言うよ。そんな輩には興味ない。ただそのときは、10年後20年後、とんでもないやつになるということはちゃんと警告してからね。」
「モチベーションの保ち方って難しいよね。自分のためでももちろんあるけど、誰か人のためっていうのがあると、挫折しそうになったときも強いよね。」
【考えたこと】
①我の強さ、芯のしなやかさを兼ね備えている。一見厳しそうでストイックそうで、自分の到達できる領域から一線を画している人々に見える。だけどそれもそのはずで、異常なまでに視野が広く、志高く、思慮が深い人々の集団。常に自分を磨きながら、若手に対しても教育的。
②それでいてOFFのときには完全にOFFで、ONのときには見ることのできない姿を見ることができる。
③それぞれが自分の考え方をしっかりと持ち、感じたことを正直に話す。しかしながらお互いに波長が合致していて、共鳴している。おそらく基礎の部分が自然と共通しているのだと思う。
④見ている世界が違う。時空を超えた視野を持っているが、それも高い志に起因しているのだと思う。時空を超えた視野を持つ努力をするのは無理だが、高い志を持つことは誰にでもできる。それに気づくかどうか。その自信があるかどうか。明らかに思考の型が異なり、自信を裏打ちする何かを持っているのだと感じる。
再誕
うーん…。お久しぶり…
夢から覚めた気分よ。
転生してもおかしくないくらいの時が流れたと思う。
大人にはなりたくないものだね。
周りの目もあるから一応は成長しないわけにはいかないけど、やっぱ自分の核芯はずっとこどものままでいたい。
「未熟なまま」じゃないところがミソ。
「こどものまま」でいたいの。
この空白の期間で、私が私たる所以が薄らぐところだった。
私の定義が揺らぐところだったよ。
前の投稿から今日までに、おとぎ話級の起承転結を幾度となく繰り返した。
だけどこのブログが残ってたから、また何とか戻って来れた。
そういえば、このブログを始めた頃も同じようなタイミングだった。
だけどあのときと同じだとつまらないのはわかっている。
どう? 成長したでしょ私。
嫌になっちゃう。
追記
殺す気です。この風は私たちを本気で殺す気でいます。私にはどうすることもできません。
時々強くなる暴風は、一度の継続時間が長くなり、より一層強く恐怖に押さえつけられます。
ミキサーの中で攪拌されているようです。
こんなにも強くなるのかと、驚きが恐怖を後押しします。もう波の音ですこれ。
木々も車も電柱も、耐えられるのでしょうか。
早く過ぎ去ってください。
どうか窓は割らないでくださいお願いします。
「死の恐怖」を問われたらこの日のことを話します
超が100個つきそうなくらい巨大な低気圧が近づいてきました。窓を叩く風の音に恐怖ばかりが募ります。
この恐怖をば、この日限りで腐らせるのは勿体無いと思ってしまうほどに、私は狂ってしまったのでしょう。日記として残したいと思い、久々の更新です。
※以下、嘘は書きません。誇大な表現はありますが、それらは全て事実を超える表現ではないと判断して使用しています。いわば神によって誇張された事実が窓の外に存在しており、私はそれをそのまま表現しているにすぎません。
「一番強い」と予報される時刻はまだまだこれからなのに、もはや窓の外は嵐です。
「嵐」とかじゃ足りないくらい荒れています。
ときおり風自体の音が強くなります。時速300kmを実感する音です。新幹線の窓が開くなら、多分こんな音してます絶対。飛んでる飛行機と言ってもいいくらいだと個人的には思います。
「ヒュー」系の高い音と、「ゴー」系の荒々しい音と、「フォーン」系の遠い音が、一瞬にして窓の外を横切ります。その度に、体の芯から恐怖が湧いてきます。
有無を言わさない、暴力的な風の音。外に出てまともに受けたら、間違いなく吹き飛ばされると思います。私ですか?中肉中背です。ホントです。
大きめの木の枝やペットボトルなどが窓に直撃したらまず間違いなく窓は割れると思います。間取りの関係上いつも窓に背を向けて寝ている私は、寝返りが打てず困っています。窓の方を向いて寝るのは、無理です。死の恐怖を感じます。風に乗った何かが窓を突き破って私を貫くのではないかと気が気ではなく、たまらずマットレスをベッドの横に下ろし、ベッドを盾にして眠ることにしました。
たまに雨が窓を叩きます。レースカーテンを滑らせるようなシャラシャラした音で、雨量は多くないようです。「ゴー」系の音に雨も含まれているのかもしれません。その場合、雨量は結構多いことになりますが、窓の外は暗くてよくわかりません。
予報を冗談だとは思ってなかったけど、本当に油断しなくてよかった。と今は思います。
例えるならブラックホールが近いと思います。
地球にブラックホールが接近してきたのかと。
全てを飲み込む音です。
一瞬にして最大級の恐怖が、次の瞬間にもまた次の瞬間にも襲ってきます。なんだかよくわからない表現ですが、責めないでください。「これまで経験したことのない」という表現が初めてしっくりきました。
地球レベルで見ても、ヒトが生活している時代のエクメーネに発生した低気圧の中で、トップレベルだと思います。そうであって欲しいとすら思います。でないとしたら、地球はヒトの居住環境として適しているとは言い難いと思ってしまいそうです。
どうか、風に煽られて怪我をする人がいませんように。どうか、台風が穏便に通り過ぎますように。
と書いているそばから、この祈りを一刀両断するような風が私を呼んでいます。
怖いです。
眠らずに明日を迎えるわけにはいかないので、目は閉じますが、本当に怖いです。おやすみなさい。
青春は通学路に詰まっている
私が生まれ育った故郷は、一般的に言ってかなりの田舎です。路線バス沿いだった分、心底仰天されるような秘境ではありませんが、バスは1時間に1本以下、最寄り駅までは徒歩1時間、家が山の上なので駅から家に帰ろうと思うとさらに時間がかかります。
一面の畑の中に道が一本走り、ポツポツと家の集簇が散在するような集落でした。
そういうわけで、小学生の頃はスクールバス、中学生の頃は両親の送迎、高校もスクールバスで通学しなければなりませんでした。
最近になって、周りの人と話をする中で少しだけ寂しいことがあります。それは、通学路を歩いたことがないことです。
小学校の頃は歩いたって楽しいことはせいぜい川の流れやトンボの飛ぶのを見ることくらいでしょうが、中学高校になると、友達とゲームセンターに行ったりタピオカやマックを飲み食いしたり、好きな人と並んで歩いたり、漫画や雑誌を立ち読みしに行ったり…いろんな青春があったのだろうと思います。
小中の頃の通学路は、歩いたところで山道しか通りませんが、高校の通学路は今思えばそういった場所も少なからずあったように思います。
ほぼドアトゥドアの生活を送っていましたので、学校でしか友達と会わない生活が、小さい頃から私にとって普通でした。
しかし、一般的にはそれは普通ではないと、最近思います。
制服でプリクラを撮ったり、自分の欲しいと思った文房具やお菓子を自分の意思で買いに行ったり、好きな人の家にお呼ばれしたりすることも、徒歩通学であれば叶ったような気がします。
休みの日も交通が不便なので山にこもって部活の自主練を1人でやったり、読書や勉強をすることしかできませんでした。たまに友達と遊ぶ約束をしても、両親の送り迎えが必須だし、そうでなければ2時間歩くこともザラでした。
だからって今更誰に責任を求めるわけでもないですが、私の思う普通と一般的な普通は大きくズレているということがわかり、リセットしたくなるときがあるということに、最近気付いたというだけの、ただそれだけの話でした。
人生
人生ってなぜこうもうまくいかないものなのでしょう。
普段の生活でそう感じることは往々にしてありますが、人生のなかで重大な選択においても、そう感じることがあるということがわかりました。
また、そう感じた場合でも、それを受け入れて生きるしかないということが、わかりました。
もう少し早く気づいていたなら…
もう少し早く出会っていたなら…
もう少し早く行動できていたなら…
今となっては手遅れです。
私は、あなたのことが嫌いではありません。ただ、別の道に幸せを見出すことができるのではないかと考えてしまうのです。
目先のことを考えている結果でしょうか。
そう思うしかありません。合理化して妥協するしかありません。
いつか、この選択をしてよかったと思える日が来るでしょうか。
そう思うしかありません。
選択しなかった方の道に未練はありますが、諦めるしかありません。
人生ってそういうものでしょ。