とっても大切なお話

私は小学生の頃、転校した経験があります。

父からその話を持ちかけられたときには、正直、そんなに深くは考えていませんでした。

父からこの話を聞いたのは、父の運転する車の中。家から小学校に向かう方角へ、両脇に畑を見ながら直進しているときでした。私は助手席に座っており、他には誰も乗っていません。2人だけの空間の中で、父は私にこう言いました。

「なぁ、ばあちゃんのところに引っ越しするか?」

そんな突拍子もない予想だにしない現実離れした提案に私は混乱しました。引っ越しするということは、必然的に転校する必要があることくらいもうわかる年齢でしたから。でも私は、少しマセていましたし、底抜けに明るい性格で、この性格が別のコミュニティにも通用するのか試したかったのと、転校そのものに憧れている気持ちが少しだけあったのと、転校先がそんなに遠くじゃないから今の友達と永遠の別れになるわけじゃないだろうとタカをくくっていたのと、父親の今思えばおかしくて笑ってしまいそうな神妙な表情を前に正常な思考を奪われていたことと、私が賛成しても家族の他のメンバーとの話し合いが改めて行われるだろうと予想していたことと、何より今まで「遊びに行く」場所であったおばあちゃん家に「住む」ことができるという異次元的な期待感に胸が膨らんだことと、あとはやはり奇を衒いたい性格だったのか転校という非現実的な経験をしてみたいという微かな願望から

「別に…」

と答えてしまいました。

もちろん、今の友人関係がここで一旦保留というか、もっと言えば中断とか終了になるということに対して、寂しい気持ちや、みんなに申し訳なく思う気持ちはありましたが、前述の通り、会おうと思えばすぐに会えるだろうと思っていましたので、本当に深くは考えていませんでした。

何が私にそうさせたのかはわかりませんが、友人の元を離れ、好きだった同級生のことも半分諦め、「転校」という、のちに人生の一大イベントとなる転換点に向けて、私は歩みはじめたのです。

 

私の転校前の友人たちとの最後の記憶は、「お別れ会」です。そう、担任をはじめ、クラスの仲の良かった友達が開いてくれたお別れ会。

学校の体育館でドッヂボールをしたり、何か美味しいものを食べたような記憶もあります。

そしてその会の最後に、私はプラカードをもらいました。クラス全員分のメッセージと写真付きです。正直、転校する私にみんなが何か用意してくれていることに、私は気づいていました。このお別れ会が開かれる2週間くらい前から、何かみんなそわそわ私に隠し事をしているのです。封筒に入った緑色の丸く切った画用紙のようなものを、私だけが持っていないものを、みんな隠し持っていたのです。

担任が「みんな爪の剥がれる思いで頑張りました」と言って渡してくれたそのプラカードには、クラスの人数分の直径6センチくらいの円形のメッセージカードが、金属の輪っかで暖簾のようにつながっていました。

このとき、私は初めて目頭が熱くなったのです。今まで深く考えてこなかった自分を恥じ、みんなに対して本当に申し訳なく思いました。私が会おうと思えばすぐ会えると考えていた「転校」は、みんなにとっては永遠の別れだったのです。考えてみれば当たり前のことです。転校をすれば、転校した先で友達が「増える」だけだと考えていましたが、現実は違う。友達を「取り替える」だけです。スマホどころかオモチャのような携帯電話がやっと世間に普及しはじめていた時代、車しか移動手段のない田舎では子ども同士の個人的なつながりなんてありません。今までの友達は裏切った形となり、新たな友達とのうのうと生きていくことを選んだという、それだけのことなのです。

そのことに、重いプラカードを抱えた私は、まさにそのときに気付かされたのです。

みんなのメッセージは、それでもやはり子どもです。

「また会おうね」

「手紙書くね」

「転校しても元気でね」

それだけの言葉でも、30人分を私1人に向けて集中的に投げかけられると、なんだか面映ゆいような、圧倒されるような、でも確かに嬉しいものでした。

そして、このとき私は大変ショッキングな出来事に見舞われました。

みんなのテンプレ通りのメッセージの中、もっとも仲良くしていた、一番の大親友であったKだけが、

「さようなら」

と書いていました。

誰もが、避けていた言葉だったでしょう。

お別れの言葉「さようなら」は、テンプレート中のテンプレートではありますが、実際に文字で突きつけられると、それも大親友に、大親友だけから突きつけられる言葉としては、これほど重いものはありませんでした。

Kがこのメッセージを書いたとき、どんな気持ちだったのでしょう。もう会えないんだという気持ちがあったからこそ、その事態を重く受け止め心から悲しんでくれたからこそ、あえてみんなが避けた「さようなら」を率直に文字で伝えたかったのかもしれませんし、何の意図も含まれていないのかもしれません。しかし私にとっては、最後の最後で一番ショッキングなメッセージでした。

 

あれからたくさんの時間が流れ、私もみんなも成長しました。これだけの時間が流れれば、街を歩いていると転校前の友達に偶然出くわすこともありました。

でもKには、お別れ会以来いちども会っていません。一番会いたいのに、今どうしているのかさえ知りません。顔を思い出そうとしても、あどけない小学生の無垢な笑顔しか浮かばず、同い年の友達と思うにはちっとも現実味がありません。もしも会えたら、「深く考えもせずに転校しちゃってごめんね」と伝えたいです。

 

今まで自分の転校経験に関して、漠然と思いを巡らせることはありましたが、こうして文字にして考えたのは初めてでした。

やはり私は、どうしてもKのことが心残りだったようです。

その気持ちが、今はっきりしました。

遅すぎたね。

K、本当にごめんね。