追想に次ぐ追想

私は、私を置いてゆくのだわ。

中学生の頃は中学校に。

高校生の頃は高校に。

思い出すときはまず教室から。それからだいたいのみんなの出席番号、先生の名前。

それから、今考えると馬鹿馬鹿しいくらいに友達と人見知りし合って、初々しかった入学当初のことを思い出したりする。

中学校の寒々しい体育館での全校集会の様子を思い出したりする。

小学校1年生の頃の広すぎて身に余る校舎を探検して迷子になったときの、職員室という異世界に漂うコーヒーの匂いを思い出したりする。

なぜだか知らないけど、たまに開かなくなる下駄箱は、きっとただ建て付けが悪かっただけなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

思い出せないことと、もともと知らなかったことの2種類が頭の中にあって、頭の中にさえ浮かんでこない種類のものが、多分もっといっぱいある。

図書室のカードに記入するための鉛筆はもっと鋭く研いでおいて欲しかった。タイトルをフルで書きたいのに、欄に入らないじゃない。

うんていから落ちてとんでもないけがをしてたあの男子は、まだどこかで生きてるのかな。

どんなことにでも怒鳴り散らしていたあの教師は、よく子ども相手に本気になれたものだなぁと、大人になった今思えば感心。私は多分、子どものすることになんて無関心だと思うし、私自身子どもを叱れるほど正しい人間じゃないから、なんだろ、自分の価値観を押し付けるようで、なんか叱るのっていやだ。

そうじゃなくて。

部活だって、なんであんなに一生懸命になれたんだろう。それくらいしかすることなかったからだろうな、多分。私はそれなりに活躍したからいいものの、そうでもなかったあの子は、元気かな。

人生の転換点は、今思えば確かにいくつかはある。その全てで最良の選択ができていたかは知らない。他の選択肢を選んでた場合のことなんて、知りたくもない。多分嫉妬もしないし、後悔もないと思う。かといって現状に手放しで満足しているわけでは全然ない。まぁ、こんなもんか程度。

ほんとにもう。

クラスの友達を笑わせることだけに、本当にそれだけに全神経と体力を集中させていた小3の私は、どこに行ったの。死んだの。

私は、死んだの。

私は、これからも、そこかしこに私を置いて生きていくのだわ。