敬称略な関係

Sとすごく久しぶりに話しました。

電話で話しました。

日本列島の長さの半分の距離離れてるけれど、なぜか気が合う気がします。

恋愛の話が主でした。恋愛というよりは、もっと現実的で家庭的な話でした。

電話を切ったとき1時間40分も話してたことを知りましたが、ぱっと思い出せません。その一刻一刻をこまかく復習したい気分になったので、書きます。

もともとSには、かねてから抱いていた悩みを先日打ち明けていました。それ以降もSは私のことを気にかけてくれて、その中でSの相談にも乗ったりして、久しぶりに連絡したとは思えないくらい親密な時間を過ごしていました。

そして、お互いのパートナーの話をして、ああでもないこうでもないと、お互いをアドバイスしあったり、共感しあったり、何気なく口をついて出た言葉同士で会話ができる、そんな時間を過ごしました。

やはり、Sの声は天性というべき素敵な声です。耳に心地よく、心の壺の曲率に合わせてすんなり響きわたるような。

素敵な女性って、大人びているようでいて、必ずどこかに乙女のような少女のような心を残しています。Sの中からたまに覗く少女は、普段のSからワントーン高い声で、普段のSが言うには少し恥ずかしいような内容を、さも恥ずかしくなさげに振る舞いながら打ち明けます。正直かわいいと思います。

一旦連絡を取らなくなれば何ヶ月も取らない、そんな仲ですが、取ればこうやって長い時間お話に付き合ってくれる、やっぱり素敵な人です。

ゆめゆめわすれられない

また夢の話をします。

これはついこの前見た夢です。

私は父の職場の正面の入り口にいました。入り口の目の前にはバス停があって、その辺りに1台の白いセダンが停まりました。

中から降りてきたのは妊婦さん。でも様子がおかしいです。お腹はパンパンで、今にも生まれるのではないかと思うくらいでした。案の定、その場で産気づき、座り込んでしまいました。そこに私と父がたまたま通りかかって、手助けに入りました。

そうしているうちに、今度は黄色っぽいバンが私たちの近くに停まりました。

そこから降りてきたのは、3人の女の子でした。

見た目は中学生くらいですが、着ているものが妙に子供じみていました。アニメのような大きな目をしていました。黄色いポシェットだったか、バッグを持っていたように思います。

3人はこちらに向かって歩いてきました。妊婦さんが目に入っていないようで、そのまま私たちの横を通り過ぎて行くのかなと思っていたら、なぜか真っ直ぐこちらへ向かってきます。私のすぐ目の前で足を止め、3人で何やらコソコソ話をした後、真ん中の1人が真っ直ぐにこちらを見つめ、場違いなほど元気よくこう言いました。

「それでは!ごあんないします!」

 

そこで目を覚ましました。じっとり嫌な汗をかいています。まだ夜中でしたが、スマホの着信音が鳴っていました。

電話に出ると、妹が「ばあちゃんの容態が悪くなったって、病院から連絡があって、今から行ってくるね」とのことでした。

今すぐに何か動かなきゃいけない事態なのですが、夢の女の子がフラッシュバックして、その場で呆然となり、何も考えられなくなりました。

 

祖母は何とか持ちこたえ、今でも入院生活を送っています。

またいつあの女の子が夢に出てくるのかと考えると、怖くて眠れません。

あの子は何者だったのでしょうか。

カバ

小さい頃に見た夢のお話。

確か4歳か5歳のときに見た夢だと思います。

その頃私は保育園に預けられていました。

その保育園で、何かイベントがあり、みんなのお父さん、お母さんが来ていました。

私の父も保育園に来ており、なぜか私は父に抱っこされていました。

私を抱えた父が、見慣れた教室に入ると、何と部屋の右奥にカバがいました。

カバは大きな口を開け、何か言いたげにこちらを見ています。

すると、父はカバの方に近づき、大きく開けられたその口の中に私を寝かせました。

 

え、なんで、ねぇ、お父さん。

 

カバの口の中で父を呼びましたが、聞こえていないようです。涙も出ません。

少しずつカバが口を閉じ、真っ暗になる直前で目を覚ましました。

 

起きて考えてみても、何もわかりませんでした。

泣いてもいませんでした。

カバって何を食べるんだろう、と思いました。

 

あなたの見た一番不気味な夢はどんな夢ですか?

AI

人は、勤労の義務があります。つまりそれは、人生のどこかのタイミングで、何らかの形で職業に就くことを意味しています。現代の日本においては、未だに終身雇用の考え方が根強いので、なんだか「人は自分の職業を見つけることが人生の目標」みたいな感じがします。

初対面の人と話していて「何されてる方ですか?」なんて尋ねたくなるのも、その文化があるからではないでしょうか。「天職」がポジティブな意味なのも、その文化があるからではないでしょうか。

ここまでの主張はどうですか?正しいと思いますか?

まぁ、話を進めるために、正しいということにしましょう。

だけど、私たちは幼少期から小学校に行き、将来の職業とは何の関連もないことを多く学びます。

小学校は100歩譲ったとしても、中学校の二次関数や高校化学の知識は、多くの人にとっては、職業に就いてしまえば何の役にも立ちません。

例えば事務作業を主におこなう地方公務員の秋月さんには、小学校理科で習う維管束の知識など必要ありません。

例えば宅食事業所で調理師として働く馬場山さんには、中学校英語の分詞構文の知識など必要ありません。

例えば看護師として働く茶ノ畑さんには、高校物理のケプラーの法則の知識など必要ありません。

もちろん、人間の価値は職業で決まるわけでもないし、人生の目的は就職ではありません。自分の職業以外の知識に興味を抱いてはいけないなんて決まりはないし、例に挙げた知識が偶然役に立つ場面も生きていれば往々にしてあります。何より、どんなことでも知らないよりは知っていた方が人生が豊かになり得ます。

私が言いたいのはそういうことではなく、受験戦争の惨禍や勤労に身を捧げる人間を、現実離れした視点から冷徹な視線で俯瞰し、「職業人としての人間」という存在が理論上合理的なものとなるように考察した場合を仮定した話をしたいわけです。

どのような結論が導き出されたかというと、「人間は生まれたとき直ちに職業を決定し、以後その職業に関わる事項しか学ばない」ことにすればいいのではないでしょうか。

だめですね。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おやすみなさい…と言いたいところなのですが、これは私が受験生時代に実際に考えていたことなのです。

職業選択の自由」のことは忘れてください。そんな自由すらない場合を仮想しているのです。

もし自分の将来の職業に関する事項しか学ばない社会が存在すれば、世の中の無駄はある程度省かれます。

全教科教える小学校の醍醐坊先生は要らないし、郵便配達員になることが決まっている越後峠さんがピタゴラスの定理なんて学ばなくていいわけです。

必要なものだけを学ぶ中で、必要な範囲のことを身につけていけば、それはそれは合理的な世界になるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

そんなことをほんの一瞬だけ考えたことがあります。

もちろん今思えば、この議論は馬鹿げているし、正しさのかけらもないです。

 

この記事を読んであなたはどう思いましたか?

令和

結構好きです。

「令」ってあんまり日常で使わないし、「レイ」って何だかお淑やかで大人しくて繊細で手弱女な響きが、素敵ですよね。

現代のパリピばっかりが目立つ俗世を見兼ねた国家が、縁の下に懐中電灯を当ててくれたみたいな。そこに固まって蠢いていた力持ちたちにスポットライトを当ててくれたみたいな、そんな感じがしますよね。ひたむきかつしたたかな国民性を、国家をあげて評価していこうという思惑が見え隠れしてますよね。

そうかと思えば、ひらがなで書くと「れいわ」。なんと「いわ」が入ってるんです。こじつけじゃなく、本当に最初聞いた時こう感じました。この元号には「レイ」が入っていながら「いわ」が入っている。すごく締まりがいいし、優しさだけでなくて強さも表現してくれている、繊細かつ大胆に生きることを是としてくれている、そんなことを思いました。支離滅裂ですね、自分でもわかっています。

万葉集に全く触れずに感想を述べました。

 

平成31年4月30日の翌日は、

令和元年5月1日です。

残された平成の1ヶ月を、何の気なしに過ごすのは少しだけ勿体無い気はするけれど、多分1ヶ月後にはもうなんとも思ってないだろうなと思う自分が少しさみしいです。

ありがとう平成。

これからよろしくね令和。

とっても大切なお話

私は小学生の頃、転校した経験があります。

父からその話を持ちかけられたときには、正直、そんなに深くは考えていませんでした。

父からこの話を聞いたのは、父の運転する車の中。家から小学校に向かう方角へ、両脇に畑を見ながら直進しているときでした。私は助手席に座っており、他には誰も乗っていません。2人だけの空間の中で、父は私にこう言いました。

「なぁ、ばあちゃんのところに引っ越しするか?」

そんな突拍子もない予想だにしない現実離れした提案に私は混乱しました。引っ越しするということは、必然的に転校する必要があることくらいもうわかる年齢でしたから。でも私は、少しマセていましたし、底抜けに明るい性格で、この性格が別のコミュニティにも通用するのか試したかったのと、転校そのものに憧れている気持ちが少しだけあったのと、転校先がそんなに遠くじゃないから今の友達と永遠の別れになるわけじゃないだろうとタカをくくっていたのと、父親の今思えばおかしくて笑ってしまいそうな神妙な表情を前に正常な思考を奪われていたことと、私が賛成しても家族の他のメンバーとの話し合いが改めて行われるだろうと予想していたことと、何より今まで「遊びに行く」場所であったおばあちゃん家に「住む」ことができるという異次元的な期待感に胸が膨らんだことと、あとはやはり奇を衒いたい性格だったのか転校という非現実的な経験をしてみたいという微かな願望から

「別に…」

と答えてしまいました。

もちろん、今の友人関係がここで一旦保留というか、もっと言えば中断とか終了になるということに対して、寂しい気持ちや、みんなに申し訳なく思う気持ちはありましたが、前述の通り、会おうと思えばすぐに会えるだろうと思っていましたので、本当に深くは考えていませんでした。

何が私にそうさせたのかはわかりませんが、友人の元を離れ、好きだった同級生のことも半分諦め、「転校」という、のちに人生の一大イベントとなる転換点に向けて、私は歩みはじめたのです。

 

私の転校前の友人たちとの最後の記憶は、「お別れ会」です。そう、担任をはじめ、クラスの仲の良かった友達が開いてくれたお別れ会。

学校の体育館でドッヂボールをしたり、何か美味しいものを食べたような記憶もあります。

そしてその会の最後に、私はプラカードをもらいました。クラス全員分のメッセージと写真付きです。正直、転校する私にみんなが何か用意してくれていることに、私は気づいていました。このお別れ会が開かれる2週間くらい前から、何かみんなそわそわ私に隠し事をしているのです。封筒に入った緑色の丸く切った画用紙のようなものを、私だけが持っていないものを、みんな隠し持っていたのです。

担任が「みんな爪の剥がれる思いで頑張りました」と言って渡してくれたそのプラカードには、クラスの人数分の直径6センチくらいの円形のメッセージカードが、金属の輪っかで暖簾のようにつながっていました。

このとき、私は初めて目頭が熱くなったのです。今まで深く考えてこなかった自分を恥じ、みんなに対して本当に申し訳なく思いました。私が会おうと思えばすぐ会えると考えていた「転校」は、みんなにとっては永遠の別れだったのです。考えてみれば当たり前のことです。転校をすれば、転校した先で友達が「増える」だけだと考えていましたが、現実は違う。友達を「取り替える」だけです。スマホどころかオモチャのような携帯電話がやっと世間に普及しはじめていた時代、車しか移動手段のない田舎では子ども同士の個人的なつながりなんてありません。今までの友達は裏切った形となり、新たな友達とのうのうと生きていくことを選んだという、それだけのことなのです。

そのことに、重いプラカードを抱えた私は、まさにそのときに気付かされたのです。

みんなのメッセージは、それでもやはり子どもです。

「また会おうね」

「手紙書くね」

「転校しても元気でね」

それだけの言葉でも、30人分を私1人に向けて集中的に投げかけられると、なんだか面映ゆいような、圧倒されるような、でも確かに嬉しいものでした。

そして、このとき私は大変ショッキングな出来事に見舞われました。

みんなのテンプレ通りのメッセージの中、もっとも仲良くしていた、一番の大親友であったKだけが、

「さようなら」

と書いていました。

誰もが、避けていた言葉だったでしょう。

お別れの言葉「さようなら」は、テンプレート中のテンプレートではありますが、実際に文字で突きつけられると、それも大親友に、大親友だけから突きつけられる言葉としては、これほど重いものはありませんでした。

Kがこのメッセージを書いたとき、どんな気持ちだったのでしょう。もう会えないんだという気持ちがあったからこそ、その事態を重く受け止め心から悲しんでくれたからこそ、あえてみんなが避けた「さようなら」を率直に文字で伝えたかったのかもしれませんし、何の意図も含まれていないのかもしれません。しかし私にとっては、最後の最後で一番ショッキングなメッセージでした。

 

あれからたくさんの時間が流れ、私もみんなも成長しました。これだけの時間が流れれば、街を歩いていると転校前の友達に偶然出くわすこともありました。

でもKには、お別れ会以来いちども会っていません。一番会いたいのに、今どうしているのかさえ知りません。顔を思い出そうとしても、あどけない小学生の無垢な笑顔しか浮かばず、同い年の友達と思うにはちっとも現実味がありません。もしも会えたら、「深く考えもせずに転校しちゃってごめんね」と伝えたいです。

 

今まで自分の転校経験に関して、漠然と思いを巡らせることはありましたが、こうして文字にして考えたのは初めてでした。

やはり私は、どうしてもKのことが心残りだったようです。

その気持ちが、今はっきりしました。

遅すぎたね。

K、本当にごめんね。

元号

平成31年4月1日午前11時30分から、安倍晋三内閣総理大臣ならびに菅義偉内閣官房長官による、新元号の公布がなされます。

もちろん巷では新元号の予想が盛り上がらざるを得ないので、その流れに流されておこうと思います。当たったところで自分しか喜ばないでしょうし、なんなら自分すら喜ばないと思います。要は自己満足です。このブログ自体自己満足で自己完結しているので、それでいいのです。

それでは予想に移ります。

 

『香練』

この元号には、平成の世に一区切りをつけたあとにも、世界は平和を忘れてはならないという思いが込められています。香りは空間を超えて周囲に等しく広がります。時に外の力に押されながらもしなやかに進路を見極め、万人の感覚に訴えかけます。練には糸を縒りあわせる意味があり、日本国に太古より受け継がれる血を、民族の礎たる魂を、国民ひとりひとりを一筋の糸と見立てて縒りあわせるかのごとく、総力をあげる様を祈念しています。

近年我々人類は、歴史的・伝統的な区分である「国家」を単位とした国際社会のなかにあって、様々な国家の力のバランスを均衡させることに注力するあまり、力を統合することを二の次にしてしまっています。先の大戦における戦勝国と敗戦国に分かれ、まるで小学校の学級のなかで成り行きで構成されたいくつかのグループのように、互いに睨みを効かせながら、互いを抑止しあい、揚げ足を取り合い、少しでも他者より優位に立とうと日々奮闘しています。勿論その一方で、この状況に異を唱える者もいます。我々は、そういった力が周囲に広がり、周囲の皆が力を合わせる世の中を祈願しなければなりません。牽制と皮肉に満ちた統率者たちを打倒することは決して目的ではありませんが、真の意味で本惑星に生きる皆が納得できる社会の実現に向けて、人類として進化すべき時代は、すぐそこに迫っています。

 

なんか宗教っぽくなってしまいましたね。

おやすみなさい。明日を楽しみに。